災害の記憶を未来へ繋ぐ
日本政府が大規模災害に対する国家レジリエンス強化を目指し、防災庁の設置を計画している中、神戸市および兵庫県は、この重要な機関の拠点を神戸周辺に設置するよう政府に強く要望しています。
神戸市では、関西広域連合や兵庫県と協調して、南海トラフ巨大地震や首都直下型地震等の大規模災害に備え、事前対策から復興までの総合的な施策を推進し、防災機能をバックアップできる双眼構造を確保をするため、防災庁の創設及び神戸周辺への拠点設置を国に対して要望しています。
神戸市は、阪神・淡路大震災を経験し、未曾有の被害から復興した都市です。また、人と防災未来センターやJICA関西国際防災研修センター等の防災関係機関が集積しており、港湾・空港機能等の活用も可能であることから、西日本における防災庁の拠点として適地であると考えています。
1995年に未曾有の被害をもたらした阪神・淡路大震災を経験した神戸市は、その記憶を深く刻み込んだ都市です。
本稿では、この災害の経験と復興の歩みを通して得られた教訓が、中央集権的で縦割りになりがちな現行の防災体制のデメリットを克服し、より実効性の高い防災庁の設立に貢献するという観点から、神戸への防災庁設置のメリットを考察します。
特に、都市が過去の災害から得た「記憶」が、今後の防災対策や復興計画にいかに活かせるのかを検証し、災害の直接的な記憶が少ない東京に拠点を置くことの意義と比較しながら、神戸設置の優位性を明らかにします。
神戸が「記憶」を保持し続ける理由
災害の傷痕と教訓
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災は、神戸市に壊滅的な被害をもたらしました。6,400人を超える市民が犠牲となり、10万棟以上の家屋が全壊または半壊するという甚大な被害に見舞われました。この未曾有の災害は、単なる物理的な破壊に留まらず、神戸市民の心に深い傷跡を残し、都市のあり方を根底から変える経験となりました。長期間にわたる困難な復興過程を経て、神戸は人々の不屈の精神と強固な意志によって再建されました。この直接的な経験を通して、大規模災害の現実、事前の備えの重要性、そして復興の複雑さを深く理解するに至ったことは、神戸にとってかけがえのない教訓となっています。
死者[人] | 全壊[棟] | 半壊[棟] | 計[棟] | |
神戸市 | 4,564 | 61,800 | 51,125 | 112,925 |
尼崎市 | 49 | 5,688 | 36,002 | 41,690 |
西宮市 | 1,126 | 20,667 | 14,597 | 35,264 |
芦屋市 | 443 | 3,915 | 3,571 | 7,486 |
伊丹市 | 22 | 1,395 | 7,499 | 8,894 |
宝塚市 | 117 | 3,559 | 9,313 | 12,872 |
川西市 | 4 | 554 | 2,728 | 3,282 |
明石市 | 11 | 2,941 | 6,673 | 9,614 |
加古川市 | 2 | 0 | 13 | 13 |
三木市 | 1 | 25 | 94 | 119 |
高砂市 | 1 | 0 | 1 | 1 |
洲本市 | 4 | 203 | 932 | 1,135 |
淡路市 | 58 | 3,076 | 3,976 | 7,052 |
計 | 6,402 | 103,823 | 136,524 | 240,347 |
この経験は、机上の空論では得られない、災害対応と復興に関する貴重な実践的知識を生み出しました。
兵庫県の斎藤元彦知事は、防災庁の拠点を神戸市周辺に設置するよう内閣府に要望した理由として、首都直下地震が発生した場合でも同時に被災する可能性が低いことと並んで、阪神・淡路大震災からの復興を通じて得られたノウハウを生かせることを挙げています。
この事実は、神戸が単に過去の災害を経験しただけでなく、そこから得た教訓を未来の防災に活かそうという強い意志を持っていることを示唆しています。
「災害の記憶を街が残している」
神戸に息づく災害の記憶
神戸の街には、阪神・淡路大震災の記憶が様々な形で残されています。
震災遺構と慰霊碑
震災の悲劇を後世に伝え、防災意識を高めるために、神戸市内には多くの震災遺構が保存されています。
神戸港震災メモリアルパークでは、被災したメリケン波止場の一部が当時のまま保存されており、地震の破壊力と復旧の過程を間近に感じることができます。
2025年1月には、震災30年を迎えるにあたり展示内容が全面的にリニューアルされ、新たな視点から震災の記憶を伝えています。
また、淡路島にある北淡震災記念公園内の野島断層保存館では、地震を引き起こした野島断層が保存され、地震の脅威を具体的に学ぶことができます。
国道2号線沿いには、震災で損傷した浜手バイパスの橋脚が震災遺構として保存されており、地震の揺れの大きさを物語っています。
三宮の東遊園地には、震災で倒壊し、その瞬間に時計の針が止まったマリーナ像や、震災犠牲者の名前が刻まれた慰霊と復興のモニュメントがあり、市民の祈りの場となっています。
これらの震災遺構は、過去の出来事を風化させることなく、市民や訪れる人々に災害の記憶を語り継ぐ重要な役割を果たしています。
防災教育への取り組み
神戸市は、震災の教訓を未来世代に継承するため、防災教育に力を入れています。
1995年3月には「神戸の教育再生緊急提言会議」が開催され、震災を負の遺産として残すのではなく、未来を力強く生きる子供たちの育成に努めることが提言されました。
この提言に基づき、神戸市では学校園全体で「生きる力」を育むことを大切にした「新たな神戸の防災教育」が継続的に推進されています。
現在も、「震災体験から学んだ教訓を生かす」「防災・減災」「思いの共有化」の3つの視点を重視し、震災の風化を防ぎながら防災教育が進められています。
2024年度は、震災30年を機に「いつもこころにともしびを」を合言葉とした「ともしびプロジェクト」が展開され、年間を通して震災を振り返り、防災意識を高める活動が行われています。
小・中学校では、震災の教訓を盛り込んだ防災教育副読本「しあわせはこぼう」が活用され、年間を通して防災の視点を取り入れた授業が実践されています。
また、語り部による震災体験の伝承や、「人と防災未来センター」などの施設を活用した校外学習も積極的に行われています。
これらの取り組みは、震災の記憶を次世代へと確実に繋ぎ、市民全体の防災意識の向上に貢献しています。
防災関連機関の集積
神戸市には、「人と防災未来センター」やJICA関西国際防災研修センターなど、防災に関する研究・教育機関が集積しています。
特に、人と防災未来センターは、阪神・淡路大震災の経験と教訓を未来に活かし、安全・安心な社会の実現を目指しており、震災に関する展示や資料収集・保存、災害対策専門職員の育成、実践的な防災研究など、多岐にわたる活動を展開しています。
展示フロアでは、震災の追体験、震災の記憶、防災・減災体験など、様々な視点から災害について学ぶことができます。
これらの機関の存在は、神戸市が単に過去の災害を経験しただけでなく、その経験を活かして防災・減災に関する知見を深め、発信していく拠点としての役割を担っていることを示しています。
コミュニティ主導の経験伝承
地域社会においても、阪神・淡路大震災の経験は語り継がれています。
自治会や防災福祉コミュニティを中心に、震災の経験者が自らの体験を語り、地域住民の防災意識向上に貢献する活動が行われています。このようなコミュニティレベルでの経験の共有は、災害の記憶を個人のレベルから地域全体の共有財産とし、地域防災力の向上に繋がっています。
直接的な記憶の欠如と中央集権のリスク
東京の経験
東京は日本の首都であり、政治・経済の中心地としての重要な役割を担っています。
過去には関東大震災など大規模な災害を経験していますが、阪神・淡路大震災のような近年かつ甚大な被害をもたらした都市直下型地震の直接的な経験はありません。
もちろん、東京も首都直下地震のリスクに備え、様々な防災対策を講じていますが、その対策は技術的な側面やインフラ整備に重点が置かれている傾向が見られます。
防災庁を東京に設置した場合、中央集権的な体制となり、迅速な意思決定が可能になるというメリットが考えられます。
しかし、大規模災害の現場で求められるのは、画一的な対応だけではありません。
被災地の状況や住民のニーズに合わせた柔軟な対応が不可欠であり、そのためには、過去の災害経験から得られた、肌で感じた教訓が重要になります。
もし防災庁が、災害の直接的な記憶を持たない都市に設置された場合、現場の状況を十分に理解しないまま、トップダウンで対策が進められる可能性があり、結果として、被災地のニーズに合わない、実効性の低い対策に終わるリスクも考えられます。
神戸設置の戦略的優位性:国家防災体制の中核を担う
神戸に防災庁を設置することは、単に過去の災害経験を活かすというだけでなく、国家防災体制全体にとって戦略的な優位性をもたらします。
経験と専門知識の活用
神戸は、阪神・淡路大震災からの復興という他に類を見ない経験を通じて、災害対応、復旧、そして防災・減災に関する深い知識とノウハウを蓄積してきました。
この実践的な経験は、国の防災政策や戦略を策定する上で貴重な財産となります。
兵庫県の斎藤知事が指摘するように、この経験を活かすことは、防災庁がより実効性の高い対策を講じる上で不可欠です。
防災関連機関との連携
神戸には、人と防災未来センターやJICA関西をはじめとする、防災に関する研究・教育機関が多数存在します。
これらの機関と防災庁が連携することで、最新の研究成果や国際的な知見を迅速に取り入れることが可能となり、より高度な防災対策を推進することができます。
人と防災未来センターが阪神・淡路大震災の経験を具体的に伝え、最新の研究成果に基づいて災害対策専門職員を育成している事実は、神戸が防災人材育成においても重要な役割を担えることを示しています。
首都機能バックアップ拠点としての役割
兵庫県は、神戸市周辺が首都直下地震発生時のバックアップ拠点として適していると提言しています。
首都機能が一極集中している東京で大規模災害が発生した場合、国家の中枢機能が麻痺するリスクがあります。
地理的に離れた神戸に防災庁を設置することで、そのような事態においても、迅速かつ円滑な災害対応を継続することが可能となり、国家全体のレジリエンスを高めることができます。
関西広域連合もこの提案を支持しており、広域的な視点からも神戸の戦略的な重要性が認識されています。
防災都市モデルとしての発信力
阪神・淡路大震災からの復興を成し遂げた神戸は、国内外に示すべき防災都市のモデルとなっています。
その経験と教訓は、他の地域や国々が災害に備え、より強靭な社会を構築するための指針となり得ます。
神戸を防災庁の拠点とすることで、日本が培ってきた災害対策の経験と知見を世界に向けて発信する力を高めることができます。
神戸が「防災都市」としての役割を果たし、その経験を震災を経験していない世代や国内外に伝えている事実は、神戸が持つ発信力の大きさを物語っています。
結論:過去の教訓を未来の安全へ
本稿で考察してきたように、神戸市は阪神・淡路大震災という未曾有の災害を経験し、その記憶を都市の隅々にまで刻み込んでいます。
震災遺構の保存、継続的な防災教育、防災関連機関の集積、そして地域社会における経験の伝承といった多岐にわたる取り組みは、神戸が単なる被災地ではなく、災害の教訓を未来に活かす防災先進都市であることを示しています。
中央集権的で縦割りになりがちな防災体制のデメリットを考慮すれば、災害の直接的な記憶が少ない東京に防災庁を設置するよりも、過去の経験から学び、その教訓を活かそうとする神戸にこそ、その中枢機能を担うべきです。
神戸に防災庁を設置することは、蓄積された知識と経験、既存の防災インフラ、そして首都機能バックアップという戦略的な優位性を活かし、日本の国家防災体制をより強固なものとするための最善の選択と言えるでしょう。
過去の災害から得た貴重な教訓を未来の安全へと繋ぐために、防災庁の神戸設置を強く提言します。
参考文献
兵庫県など、防災庁の拠点誘致で国に要望書 斎藤知事「一定の手応え」
斎藤兵庫知事、防災庁「複数拠点の創設について要望」 25日の全国知事会議で